いちばんのあなたに …後編

 

十史と麻衣里は人気のない公園のベンチに並んで座っていた。
十史は寒そうな麻衣里に上着を貸してやりながら、なんで俺はこんなことになってるんだろうと心の中で呟く。
「としくん。日が暮れちゃうね」
「え、そ、そうだな……ぁ」
日照時間も短くなってきている。午後4時半過ぎにもなれば、木に囲まれた公園では電灯の明かりが頼りになってくる。
「麻衣里ね、まだ諦めてないんだから」
「何を」
「としくんのおよめさんになること」
瞬間、思わずブッと吹き出した。口元を腕で拭って、迷い一つない麻衣里の視線を受け止める。
「麻衣里はね、初めてとしくんと会った時から決めてたんだ。いつかはきっととしくんのお嫁さんになるんだって!」
「な、何言ってるんだ! 俺と麻衣里ちゃんとはイトコ同士で」
「もう、イトコは結婚できるんだよ?」
それとも……と、麻衣里は不意に表情を曇らせて俯く。
「としくんは……こんな子どもは、嫌い?」
「いや子どもだから嫌いってことはないけど」
「じゃあ結婚してくれるんだ!」
「だからなんでそうなるんだ!!?」
埒があかない。今日1日でこんなやり取りを数十回ほど繰り返していた。
正直に言うべきなんだろうか。十史は考えた。俺には既に恋人がいて、もうはっきり言ってそのコ以外眼中になくって、貪り尽くしたいくらい愛しちゃってて……等々のことを言えば、さすがの麻衣里でも納得してくれるだろうか。
否。
無理そうだ……むしろ、そのことを恥ずかしげもなく自分が表現できるかどうかが怪しい。
頭の中でそんな自分をシミュレートしながらも赤面する十史は、溜めた息を一気に吐いた。
と、不意に思いついて顔をあげた。
「そうだ! ほら結婚は女子16歳、男子18歳からだし。俺はまだ17で麻衣里ちゃんだってじゅ…9歳だし」
「本人達の意思があって、両者の両親の同意があれば何歳でも結婚できるんだよ?」
「結婚」を先延ばしにして上手いことうやむやにしてしまおうと考えていたのだが、麻衣里はその上を行っていた。ガクリと肩を落とし、一体どうすればいいんだと十史は苦悶する。

「あ、なんかほら、顔赤くしちゃってたりする! かーわいーい」
口元に両手を当てたりしてふざける秀の後ろ頭を有香はもう一度叩いたが、やはり効き目は薄いようだ。
「でもそっかあ。あの十史くんも暫らく見ないうちに大胆になったもんだねえ。女の子のシュミも360°変わっちゃって」
「それ変わってないわよ。一周してるじゃない」
有香のツッコミに秀は照れ笑いをしてのけぞった。
「あっはっはゴメンゴメン! じゃあ最初からロリコンだったってわけだ!
有香は無言で秀の尻を蹴飛ばしたが、同時に季節からも脇腹にパンチを喰らい、今度こそさすがの秀も地面に横倒れになった。
「もう〜声が大きいから、お話が聞こえないじゃないですかー」
「いやーごめんね双山さん。今のパンチ効いちゃったよー。もう血ぃ吐きそう」
「死ぬまで吐いてれば」
すぐさま復活した秀に冷たく言葉を吐き捨て、十史と麻衣里のやり取りを見つめる。
風にのって会話が僅かに聞こえてくるが、内容はしっかりと把握できない。
「……あの十史くんに限ってそんな度胸はないと思うけど……甘い顔して、ついついあの子に優しくしたりしたら……」
有香の低い呟きに、季節はコクコクと頷いた。
「やっぱりフィニッシュに向かっちゃいますね〜」
「……季節先輩、そのフィニッシュって……」
有香が訊ねようとした瞬間、秀が割り込んだ。心持ち唇を尖らせている。
「もちろん、キッスキッスキ〜〜〜……
げぶ!
秀のみぞおちに膝を打ち込んだ有香は、彼が倒れ伏すのも見届けずに季節に顔を寄せた。
「……まさか、そんな」
「えーでもー。デートの最後の別れ際って言ったら、そんなイベントがあってもいいじゃないですか〜」
季節はそこまで言って両目を閉じ、両腕で自分自身を抱きしめた。
『麻衣里はもう、十史くんのいない冷たいベッドで一人枕を濡らすのは嫌なの!』
「ちょっと」
何か方向性が違わないかと言いかけた有香だったが、
『麻衣里……俺だってそうさ。君の温もりのない部屋なんて、考えられない』
震える指を地面から伸ばした秀が果敢にも参戦する。季節はその指をそっと手に取った。
『でも今日は帰らなきゃ……だめ。だからせめて!……十史くんの唇が欲しいの……』
『麻衣里……ああなんて可愛い奴なんだ。おいで……いくらでも、何時間でも触れていてあげるから……』
秀が季節の小さい体を正面から抱きすくめる。潤んだ瞳を瞬かせた季節が、そっと瞼を閉じる。
『十史くん……』
きせ……
「シミュレーションじゃなくなってるじゃない!!」
有香の放った回し蹴りが見事に腹に決まり、たまらず生い茂る草むらに頭から突っ込む秀。季節はさっきの艶やかな演技が嘘のように無邪気に笑ってその様を眺めている。げっそりとして、有香は季節を見遣った。
「季節先輩……やっぱりまだ」
「うふふ〜楽しいですね〜。高橋くんも名演技でしたねぇ」
「あれは変態」
「なんだなんだ、ホントは有香ちゃんも羨ましかったってわけだ!」
背後から強く肩を鷲づかみにされ、そのままくるりと体を回転させられた。急に世界が回って驚いて抵抗できないでいたら、気づくと目の前には秀の顔があって仰天することとなった。
「は、離して!」
「わぁ〜、暗闇も手伝って本当の変態さんみたいです〜」
「得意分野だからね!」
何故か自慢気に胸を張る秀だったが、その力は思ったよりも強い。助けを求めて走らせた視線の先には、ベンチで未だ埒のあかないやりとりをしている二人が――。
いや、違う。
進展していた。
先ほどの季節のように麻衣里は――両目を閉じ、十史に向かって小さな唇を突き出している。
有香には、その場の状況を判断する材料として、それだけで充分だった。麻衣里に対して十史は明らかに抵抗していたのだが、目に入らなかった。
「と……」
「と?」
秀が首を傾げる。有香のツインテールが揺れる。


「十史くんの……
バカぁああ――――――!!!」

普段の、低く言葉を紡ぐ有香からは想像できないほどの大声だった。
その場にいた秀や季節、あれだけ騒いでいてもこちらの気配に気づいていなかった十史と麻衣里も動きを止め、草むらで秀に拘束されている有香を見る。
「……何してるんだ、秀…先輩」
十史の声が妙に響いた。秀はへらへらと変わらない笑みを浮かべ、そのまま有香を離さず、逆にぎゅっと抱きしめてみせた。
「悪役♪」
「アホか! 有香ちゃんを放せ!」
十史の要求に秀はあっさりと応じたが、解放された有香は素直に十史の元に向かおうとはしなかった。代わりに有香は右手を季節に向けて差し出す。
「季節先輩。長いものください」
「はい、長いものですね〜! 高橋くーん
「よーしオジサン頑張っちゃうぞ〜!」
「せんでいいせんでいいせんでいい!!」
青い顔をして十史は有香たちの方へ向かおうとしたのだが、その服の裾を麻衣里がぎゅっと引っ張ったのでたたらを踏んだ。
「としくん……麻衣里を置いていくの?」
「い、いや違うって。あの馬鹿をちょっと粛清しに」
「じゃあまた戻ってくるんだ。その証拠にさっきの続きしてくれる?」
「え」
十史はその言葉に赤くなったが、どうしてその必要があるんだと自分を叱責する。そのうちに有香はすぐ傍までやって来ていた。
「……ロリコン」
「違っ!」
両手と頭を激しく左右に振って否定するが、ジロリと斜に睨みあげてくる有香には信じてもらえない。麻衣里はじっと有香を見あげていたが、やがて有香の手を握って引っ張った。
「もしかして、お姉さんはとしくんのいいひと?」
「い……」
絶句して口を開け閉めする有香の横で、秀と季節は「おー」と小さく拍手をしている。
「古風ですねぇ」
「博識だー」
「ど、どこがだよ。何がだよ!」
季節と秀にツッコミを入れる十史をよそに、麻衣里はただ有香を真剣な眼差しで見つめるばかりだ。有香も何も言わず麻衣里を見つめていたが、やがて、
「……そうよ」
と言い切った。秀と季節からまたもや「おー」と声があがる。十史はツッコミどころを失って立ち尽くして有香を凝視する。有香はさも嫌そうな顔をして振り返った。
「だってそうじゃない」
「そ、そうだけど……」
そうだけど、そんなに堂々と言われると張り合いがないというか、もう少し初々しさが前面に押し出されてもいいんじゃないか……などと浮かんできた感想は、全て飲み込んだ。下手に言ってしまえば有香に叩きのめされてしまうことは明白だったからだ。
十史はごまかすように咳払いをして、麻衣里を見た。
「まあ……そういうことで」
麻衣里はしばらく無表情で二人を見上げていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。それを見た十史は「やっとわかってくれたか」とホッとしたのだが、次の言葉に凍りつくこととなった。
「じゃあチューなんか簡単に出来ちゃうんだ」
「ち……」
「う……?」
麻衣里は楽しそうにステップを踏みながら右手人差し指をくるくると宙で回した。
「恋人なら出来て当然。麻衣里はとしくんが大好きだから、それくらいして証明してくれないと、納得するものもできないよー」
「……あなた本当に9歳?」
有香の呆れたような感想に麻衣里は立ち止り、有香に向かって指を突きつけた。
「じゃあ訊くけど、その9歳の子どもを一日中尾行して嫉妬心燃やしてる17歳って本当に17歳?」
「ま、麻衣里ちゃん!?」
一日中尾行していたという事実はなんとなく予想がついたのでこの際追及しないことにしたのだが、この物言いは明らかに有香を刺激すると思って十史は焦った。慌てて麻衣里の口を塞ぐが、その肩を誰かに叩かれてゆっくりと振り返る。
有香その人だった。無表情のまま口を開く。
「十史くん、その手を離して」
「だ、ダメダメダメ絶対にダメ!! こんないたいけな子どもを雑巾みたくボロボロのメチャクチャにするだなんて絶対にダメだからな!!」
「誰がいつそんなことするって言ったの……」
首を左右に何度も振る十史の傍で、麻衣里は「としくんに子ども扱いされるときずつくー」と不服そうに頬を膨らました。
秀と季節は傍観者に徹し、二人で囁きあう。
「修羅場ですね〜」
「修羅場だね! 幼女vs女子高生〜不倫の絆は正妻の裁きによって打ち砕かれることができるのか!〜 どうするロリコン土村十史!」
「俺はロリコンじゃねえ! しかもなんだその幼女って不倫って! 不倫じゃなくて言うなら浮気だろうが! だいたい俺はまだ誰とも結婚してないしそもそもなんでお前がここにいるんだ、しかも出てくる表現が全部いかがわしすぎなんだよ!!」
「わぁ〜。今までに溜まりに溜まったツッコミがついに溢れ出した感じですね〜」
季節の拍手に脱力し、肩を落とす十史に更に追い討ちを掛けようと秀は身を乗り出したが、同時に時計台の鐘が鳴り、ピクリと動きを止めて空を見上げた。
「あれ……もしかして5時?」
「そうみたいですね〜。寒いわけですー」
秀は「しっぱいしっぱい」といった風に頭を叩いてみせたが、その表情はあまり芳しくない。先ほどまでの余裕もなく、そそくさと片手を挙げた。
「じゃ俺はこの辺で……!」
「な、なんだそりゃ」
拍子抜けした十史に向かってパチリとウインクを残し、秀は駆け出した。
「今から帰らないと、美味しいご飯にありつけないからさー!」
「……はあ?」
「お気をつけて〜高橋くん〜!」
手を振る季節と秀とを眺めていた十史は、また背後から肩を叩かれて体をすくませて振り返った。目の前には怖い表情の有香の顔がある。
「うっわごめん有香ちゃん! いや違うんだ無視してたとかそういうんじゃなくてこの体に染み付いた常識人の血がさわ」
「何言ってるの」
冷たくあしらった有香は十史の腕を掴んで引く。そして自分の正面に立たせて、黙った。視線は地面へ向けたまま上がらない。
「……あの、有香ちゃん?」
十史が恐る恐る呼びかけてみても、有香は顔をあげない。むしろ益々俯いている気がして、途方に暮れた。
その時突然、十史の脛に激痛が走った。声にならない叫びをあげる。
「としくんはホントにニブチンさんだねー」
麻衣里だった。皮のブーツで容赦なく蹴られたらしい。
「な、なにがだよ!」
「キス」
「は」
「キス」
「え」
「キス」
「ちょっ」
麻衣里の目は据わっている。まるで機械人形のように抑揚のない声で同じ単語を繰り返す。その9歳の少女から放たれている脅迫のような威圧感と、普段と様子が違う有香とに挟まれて、十史は混乱して立ち尽くした。
「十史くーん。一気にちゅっと行っちゃってくださーい!」
「んなムチャな」
季節の煽りに逃げようとしたが、途端に有香が顔をあげて腕を組んだ。
「そ。無茶なの」
「ち、違うんだ! ただ心の準備がちょっと」
「私だってそんなものない」
だけど、と有香は麻衣里を指差す。
「……その子を納得させない限り、あなたを取られちゃうっていうんなら、なんだって、いくらでも使わせてあげる」
「つかわ……」
ぽかんとする十史から目を逸らして、少し言い過ぎだったかもしれないと有香は後悔していた。顔に血がのぼってきているが、暗いからどうせわからないだろうと思った。寒いし、すぐに引くだろうと高をくくっていた。
しかし、いざ肩を優しく掴まれ、顎を上げさせられたら、顔が熱いどころではなくなったのだ。目の前に、妙に真剣な十史の顔がある――それだけで、体中が弾けそうだった。
「ちょ、ちょっと……」
こんなことで動揺するだなんて思わなかった。だって一度目は不意打ちで、勢いで、誰も見ていなかったし十史だってそんな気はなかったに違いない。
けれど今は十史の方から近づいてきている。まっすぐに近づいてきている。唇が触れてしまう。重なってしまう。きっと一瞬じゃ済まない。それだけじゃ済まない。
そう思ったら怖くなった。目の前にいる男が知らない人のように思えて怖くなった。思わず体を退くが、掴まれたまま拘束されて、逃げられない。
「や…とし……く…ん」
口からは自然と抵抗するような言葉が漏れたが、覚悟をして、ぎゅっと両目を閉じた…その瞬間だった。
「――な、何してんの?」
動揺したような、困ったような、市味の声が聞こえてきたのは。
十史は慌てて有香から手を離し、有香はチャンスとばかりにその場から飛び退いた。季節の「えー」という不服そうな声が聞こえる。
「い、市!? なんでお前までこんなとこに」
「尾行してたに決まってるじゃん。麻衣里ちゃんがなんで十史と一緒にいるのかも気になったしさ」
飄々と答えた市味は辺りを見渡して、ふうと息を吐いた。季節の傍まで寄って「帰った?」と訊ねる。季節はにこにこと頷いた。市味はホッとした様子で、今度は麻衣里へと近づく。
「麻衣里ちゃん」
「あ、いちちゃんだ。えー? いちちゃんはとしくんのこと諦めちゃっ……ぐう?」
市味は無言で麻衣里の口を塞ぎ、不思議そうな顔をしている十史に「なんでもない」と首を何度も横に振った。
「麻衣里ちゃん、公園の外で車が待ってるよ。……準備もあるでしょ。帰らないと」
「……準備?」
心当たりがなく、十史が市味に訊ねると、彼女は渋面を浮かべてきた。
「なに。なんにも知らずに麻衣里ちゃんと遊んでたってわけ」
「いや、だって俺は、朝起きたら麻衣里ちゃんが来てて……遊んで遊んでって、それだけしか」
市味は「これだから十史なんだよねー」とため息を漏らし、少し居心地が悪そうな麻衣里の頭に手を置いた。
「麻衣里ちゃん、2週間後の飛行機でアメリカに行くんだって」
「……は?」
十史に視線を向けられて、麻衣里は俯いた。しかし顔をあげて、無理に怒ったような顔をしてみせた。瞳は少しだけ潤んでいるように見える。
「そうだよー! 麻衣里はこんどからアメリカンになるんだから」
「そんな……だって、麻衣里ちゃん……何も」
「気にしないでとしくん!」
麻衣里は市味から離れ、十史の傍まで歩いていく。両手をかざして十史に屈むようにせびると、その頬に短くくちづけをした。
「麻衣里はただ、一番好きだった男の子に会いに来ただけだから。これで最後にするから。そのためのデートだったんだから」
「……麻衣里ちゃ」
手を伸ばして何か言いかけた十史の耳を、後ろから有香が引っ張る。有香は麻衣里をしばらく見つめたが、やがて小さく微笑んでみせた。
「このバカは、悪いけど渡せないから――もっと金髪で青目の、カッコイイのをひっかけてきなさい」
麻衣里はそれを聞いて、くすぐったそうに笑って頷いた。そしてもう一度十史の頬にキスをして、市味のところへと戻った。
「恋人同士、楽しかったよ。……もし麻衣里が戻ってきても、まだ結婚してなかったらもらってあげるからね、としくん!」
「そ、それは……」
返事に困る十史を見て、市味は声に出さず「バカ」と言った。そのまま季節の方を向いて、呼びかける。
「先輩、こんなじれったいのは放置して、一緒に帰りましょ? 麻衣里ちゃんの車で送ってくれるみたいだから」
「……あ、はい〜! ありがとうございますー。何しろ暗くて、そろそろ何も見えなくなってきちゃっててー……」
市味の方へと歩いていく季節の表情を見ていた十史には、なんとなく季節が、光一郎のことを思い出していたように思われて仕方がなかった。光一郎もイタリアに既に旅立ってしまっている。まだ日にちもそう経っていないのに、そう簡単に立ち直れるわけはないよな……といたたまれない気持ちになって、言葉の一つでも掛けようかと思ったのだが、耳は未だに有香に捕まれたままだ。
市味は麻衣里と季節の手をそれぞれ繋いで、季節と一緒に振り返った。
「じゃあ、あとはお好きに」
「バイバイ、です〜。十史くん!」
「あ……い、市!」
あっさりと背を向ける市味に、思わず声をかけてしまう。市味は立ち止ってもう一度振り返った。真面目な顔をしていた。その顔を見たら、何を言おうと思ったのかがわからなくなって、十史は途方に暮れた。有香はその横で何も言わずにいる。
「市……えーと、その……麻衣里ちゃんを……」
「麻衣里ちゃんが……なに?」
市味の声は静かだ。いつもと、何かが違う。十史は思いつきの言葉でごまかすことをやめた。やめざるを得なかった。だから黙っていたら、市味の方からふっと微笑んでみせた。
「わかってるよ! ちゃんと連れて行くから。有香ちゃん、凍えちゃう前に帰ってね」
「……うん」
有香が返事をするのを見て、市味はまた歩き出した。
そのまま振り返らない。

 

 

 

3人の影が暗闇に溶けていってしまってから、十史は気が付いた。
「あ、寒いと思ったら……」
「なに」
「上着、麻衣里ちゃんに貸しっぱなしだ」
「……」
有香は思い切り、「バカじゃないの?」というオーラを全身から出して十史を見あげている。そんな視線を避けながら、十史は後ろ頭を掻いて「まあいいか」と呟いた。
「いいの?」
「いいよ。……それより有香ちゃん。さっきのキス……し損なったけどさ、もしかして嫌がってなかった?」


有香は目を大きく開いて、瞬きをした。そして自分ではさりげないつもりだろうか、視線を何もない方向へと逸らす。
「そんなわけ、ないじゃない」
「あ、そう……」
それならいいけど、と歩き出そうとした十史の服の裾を、有香が引き止めるように引っ張った。振り返ると怒ったような表情の有香が睨んできていた。小さく口を開く。
「なに」
「え」
「怖気づいたとでも思ったの」
「は」
別にそんなことは欠片も思ってないんですけど、と十史は目を瞬かせたが、有香は何かを気にしているようだ。そのまま十史を引き止めて、また先ほどのように正面で向き合った。
「さ……さっきはほら、色々たくさんいたから……その」
「……ははあ。要は、続きをしたいんだな? 有香ちゃん」
「なっ、なんでそうなる……」
十史は手袋をとって、そのままの手のひらで有香の頬に触れた。ビクッと体を一瞬だけ強張らせた有香は、やがてゆっくりと瞼を下ろす。
「色々心配かけてるよなぁ……」
「いいから、早く……して」
そして今度こそ、唇をゆっくりと重ね合わせた。

 

「ちょっと心配かなぁ」
麻衣里が言うと、市味が「そうだねー」と請け合った。
「あたしもそう思うよ。だって十史だもん。その相手が有香ちゃんなんだもん」
「えーいちちゃん結構ひどいー」
クスクスと笑う麻衣里の瞳は赤いが、暗闇がそれを隠している。市味は冷たい風に吹かれて身震いしてから、麻衣里と繋いだ手に少しだけ力を込めた。
「でも絶対、平気ですよ」
季節は満足そうな微笑みを浮かべて、確信めいて呟いた。両目を閉じて、心持ち声を大きくした。
「今日も素敵な夜空が見えます〜」

 

 

★おわり★

 


 

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今読むと季節のキャラ崩壊がすごいなって思うんですけど、
これはこれでいいのかなって思ったので残しておきます(笑)
しかしこれ書いた当時の自分1×歳…ヮ(゚д゚)ォ!
長いものの意味わかって書いてなかった気が…するけどもう自分でも覚えがありません!(2011/8)